選手育成へ信念のスパルタ

燃える男がやって来た
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質問攻め時には鉄拳

 1987年のシーズン。40歳で中日監督となった星野がまず目をつけたのは中村武志という捕手だった。京都・花園高からドラフト1位で入団して3年目。中、長期的にチームを運営していく上で、戦場となるグラウンドの司令塔育成は実は最大の課題だった。柔軟な体と強肩。そして、人をどこかひきつける中村の感性にかけた。

 鉄拳が飛んだ。その数は知れない。中村は言う。「遠征先のホテルが大変なんです。試合後、部屋から出れないんですよ。だっていつ電話かかってくるかわからない。ベルが鳴るでしょ。その瞬間ビクッとするんですけどね(笑い)」。今でこそ笑えるが当時は笑い事ではない。担当コーチの加藤から内線電話が入ると「説教部屋行き」が確定。監督の部屋に出向くとその日のゲームの反省だけではなく、ゲームに至るまでのプロセスに問題はなかったか。様々な質問攻めにあう。もちろん、気の抜けたプレーがゲームにあった場合は容赦なく鉄拳が飛んだ。

 最もエネルギーのいる作業を舞台裏で続けていた。特効薬として落合のトレードやルーキーの抜てき、コンバートなどでチームを活性化しながら、根幹作りのために時には手をあげて叱り、教え、そして意見を聞き、中村の成長を信じて待った。監督1年目の87年、中村は43試合に出場したが、試合前にはバッテリーコーチの加藤が猛ノックを浴びせる。泥だらけになる姿を見て「前近代的。試合前にバテて集中力がなくなるだけ」という批判の声もあった。だが中村のスタミナは人並みではない。これがこの男を成長させる最も有効な方法の一つだ。星野の信念は揺るがなかった。

 「今になって思うとね。20歳そこそこで、試合に出て、それでフリーやったらまあ酒飲みにいくしかないでしょ。気分転換もたまには必要やけど、そればっかりやったら何も蓄積できへんかったでしょうね」。今や中日のチームリーダーとなった中村が恐怖時代を感謝する。88年、中村は98試合に出場してリーグ優勝に貢献した。来年55歳となる星野が手法こそ違え、当時の情熱を阪神でも断行できるのか。再建への大きなポイントとなる。



2001年12月20日付紙面掲載 


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