野村阪神TOPへの道 阪神 7―3 広島(4月30日)  

根本さんの死と寂しき甲子園

広島に助けられた逆転劇

 ギニアのことわざに「1人の老人の死は、1つの大きな図書館が焼けてしまったのと同じことだ」というのがあるそうだ。テレビを見ていて、オスマン・サンコンがそう言っていたのが、なぜか印象に残った。

 ダイエー球団社長の根本陸夫さんが4月30日、突然亡くなられた。72歳だった。監督としても活躍されたが、むしろプロ野球ビジネスの功労者だったと思う。プロ野球をスポーツ・ビジネスとして確立した人の1人だから、そういう意味では、大きな図書館であるとともに、球界の“産業革命”を果たした巨大な総合商社がいきなり消失したようなものかもしれない。

 野村監督は現役最後の2年を西武で過ごしている。3000試合出場を目標にして「生涯一捕手」を標ぼうしていた時期で、根本さんはそのころ西武の監督だった。

 ところでプロ野球はこの日も多くの観客を球場に集めた。甲子園のゲームにも2万8000人が詰め掛けてくれた。その前で、阪神は2回に湯舟の自滅(無死から3連続四球)などで3点を失う。しかし、この日は広島も負けてはいなかった? 拙攻を繰り返し、6人の投手をつぎ込んだあげく「いくつものコントロール・ミスから」(本紙評論家の広瀬叔功さん)阪神に大反撃を許してくれたのだ。

 5回は新庄のヒットと好走塁を足場にして1点。さらに6回は新庄が同点適時打、そして8回にはまた新庄が勝ち越しタイムリー、大豊の満塁走者一掃の二塁打が出た。合計8四球を与えた投手陣も、終盤を締めた福原、リベラはさすがの投球だった。かくて阪神は勝率5割!

 2万8000観衆を沸かした逆転劇が終わって、広瀬さんは「不思議とスリルのない試合やったな」とつぶやいた。「阪神は粘り強く戦ってお客さんを満足させたかもしれないが、その背景には勝負所でコーナーをねらえず真ん中へ投げてしまう広島投手陣のレベルの低さがあったからね」。

 プロ野球がより魅力的になるのは、当たり前のことだが、グラウンドでより華麗で、よりレベルの高いプレーを選手がしてくれることに尽きるだろう。そういう意味では“産業革命”の仕掛人が天国へ旅立った日の甲子園は、少し寂しさを覚える展開だったかもしれない。

  (編集委員)

99年5月1日付紙面掲載


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