野村阪神TOPへの道 阪神 3―2 中日(4月29日)  

記録に出ないミスこそ厄介

「失策0」も多くのエラー

 野村監督はよく「野球はミスを多く犯した方が負けるスポーツ」といった意味合いのことを言う。実は試合前、本紙評論家の森下正夫さんと話していたら、よく似たことをやや異なった言い方で言われた。「エラーというミスは分かりやすい。しかし記録には表れないミス。それがチームにとっては1番厄介なのだ」と。

 それは阪神のことではなく、森下さんが1969年、水原茂監督の元で初めて中日のコーチになったときの思い出話の中で出て来た言葉だった。当時、中日はミスがあってもほとんどミーティングを開かないチームだったそうで、それを森下さんは変えたという。「ミスが出ると必ず翌日にミーティングを行って、僕は名指しで指摘した」。何だか30年後に、南海で2年後輩だった野村監督が阪神で行っていることと、これもまたどこか似ているではないか。

 この日の試合。両軍合わせて失策は0。エラーはなかった。しかし「記録に表れないミス」は幾つか数えることができる。最初は断然阪神の方が多かった。1、2回の無死二塁を生かせない攻撃(1回は桧山の三振、2回は今岡の遊飛がポイント)。4回ゴメスに浴びた2ランも「第1打席で死球を与えた。次の打席ではゴメスの弱点の内角を思い切ってつけず中途半端な投球になって」真ん中直球を打たれた。1―2の7回の守りでは、1死一塁で武田の場面でバント・シフトを敷き、裏をかかれてバスターを決められるベンチのミスもあった。

 ところが8回に流れは一変する。1死から代打大豊。中日は好投武田に代えて、左腕岩瀬をマウンドへ。「果たして武田は限界だったか。少し疑問の残る継投ではあった」と森下さん。大豊は岩瀬の初球を同点ホーマー。そして9回は、落合がブロワーズに不用意な球を投げるミスを犯し、決勝本塁打の結末となった。中日の“ミス”が出てからは、阪神はまったくスキのない野球に変わっていったのだった。

 幾つものミスを本塁打が帳消しにして「セ・リーグのためにも大きな勝ち」(野村監督)をもぎ取った阪神と、継投の誤算から崩れていった中日。「そういう見方をすると、この日のゲームは非常に面白かったと思う」と森下さん。大豊とブロワーズが力で白星を運んでくれたゲームであったが、その裏側にはさまざまな“野球の隠し味”が散らばっていた。

  (編集委員)

99年4月30日付紙面掲載


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