西本投手コーチ

選手のプライドを大切に

新コーチのトライ

やり甲斐持てる環境作りを

 西本には「巨人」のイメージしかない。実際は中日、オリックスに移籍しているが、僕の中では「巨人の西本」にしか映らない。無名でドラフト外で巨人に入団。持ち前の負けん気で、巨人のエースにまで上り詰めた。シュートの切れ味、絶妙のコントロール、抜群にうまかったフィルディング。今でも背番号「26」が目に焼き付いている。

 そんな男が阪神にコーチとしてやってきた。長い間、阪神を取材してきたが、巨人の名プレーヤーが、阪神の指導者になった例は、僕が知る限り、西本が初めてだ。

 「多分、そうだと思います。巨人と阪神。宿命のライバルだから、やはりそんな事がいままでなかったんでしょう」。普通、西本クラスならこれまでに巨人のコーチになっても不思議でなかったはず。「なんか煙たがられていたのか?」の失礼な僕の質問に、苦笑いを浮かべながら「コーチにしてください、なんて動きも僕はしなかったからね」と答えた。

 初めてのコーチがタテジマ。指導の基本姿勢はやはり巨人で経験したことが元になる。「実は巨人でね、陰湿なやり方をコーチにされたんですよ」。西本が打ち明けたのは88年のシーズン。当時の投手コーチにどうやら嫌われていたようで、体調が悪かったオープン戦で「投げても内容は悪いから」と報告しているのに、投手コーチは無理やりマウンドに上げた。結果は最悪。予想していたことだ。なのにコーチから「もういい。明日からファームに行け」と告げられ、その年、4勝しただけで巨人を追われた。

 「最初から投げささないように考えていたんでしょう。こんなやり方はない。だから、今回、阪神のコーチになってまず選手のプライドを大切にしてやりたいと思っている。コーチになった時点で、自分の我を捨てると決めたんです。すべて選手がやり甲斐を持てる環境を作ってやる。それがコーチの役割でしょ」。

 89年、中日に移籍して20勝で最多勝。我が強く、雑草のようなたくましさを持ち続けたに西本もコーチになって変貌を遂げた。(敬称略)

【編集委員・内匠宏幸(たくみ・ひろゆき)】


2002年11月12日付紙面掲載


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