阪神 2―4 広島 (6月19日・福井) | ||||
北陸シリーズはいつも試練の時
「ここの球場に来るのはいつも大変な時期やった様な気がするな」 グラウンドに足を踏み入れるなり、島野ヘッドが口許を引き締めていた。地方球場には、それぞれにそれぞれの印象や思い出がある。中日でも星野監督のヘッドコーチを務めた島野。毎年訪れたこの地は、ペナントレースの重要な局面だったという記憶だけが鮮烈に残っている。 今年の阪神も、自慢の投手陣が春の勢いを失って、黒星が重なる試練の時期に当地に乗り込むことになった。チームにとっては、この北陸遠征で流れを元に戻したいところ。島野ヘッドの独り言は、そんな首脳陣の思いを代弁していた。 越前・福井は、誰よりも星野監督にとって忘れ得ぬ土地でもある。33年前の1969年5月、この日と同じ対広島戦で、2度目のマウンドを踏んだルーキーは、首脳陣の期待に見事応えてプロ初勝利。感激の涙をあふれさせた場所でもあるからだ。 自著「ハードプレイ・ハード」(文藝春秋刊)には、この時を回想した面白いくだりがある。初登板をKOされた星野は、福井遠征のホテルで沈みきっていた。 「外に出て行く気力もなく、部屋のベランダからぼんやりと夕暮れを見ていると、隣の部屋のベランダに水原監督が姿を現した。『なんだ、おれの横の部屋か。新人さんがいい部屋でいいよなあ』『出番のない新人にはもったいない部屋ですから、そのへんで野宿でもしましょうか』。すると監督は「このボケ!」と怒鳴って、部屋に引っ込んでしまった」(抜すい) 今も変わらぬ向こう気の強さ。これで2軍落ちも覚悟するのだが、なんと水原監督は、翌日、雪辱の先発を指令したのだった。鼻っ柱の強い星野の性格を見抜き、気負いが抜けた今がチャンスと起用した御大。星野は後に真意を知ることになるが、指導者としての選手操縦に大きな影響を与える“事件”だったことは想像に難くない。 遠征前日の甲子園練習ではノックバットを手にした。井川、福原らあすの阪神を担う若手投手に1本ずつ丁寧に“気”を打ち込んで、集中心をたかめさせると同時に、彼らの心のコンディションの感触も確かめている。その井川がエース対決のマウンドに上がる。立ち上がり1点を失うが、打ち込んだ“気”は、その後のピッチングに生きた。7回を2失点。打線も終盤追いつくが、2番手福原が勝ち越し点を奪われ、星野にとって思い出の福井に女神は微笑まなかった。救いは攻守の粘りだろう。指揮官は、その意味での手ごたえを感じているようにも見えた。 【達野昭司】
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2002年6月20日付紙面掲載
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