掛布の引退で、ひとつの時代が終わった

星野への軌跡

オーナーの「欠陥商品」発言

 あれは87年の春、オープン戦を戦っている頃だった.突然の知らせに驚いた。「掛布が飲酒運転」。まさかと思ったが、これは事実だった。各紙担当記者にもこの情報が流れ、当然のように久万オーナーの反応を取材した。その時、オーナーは掛布の事を「欠陥商品」と表現し、そのコメントはデカデカとスポーツ紙の1面に掲載された。

 広報担当として、ある意味で最も苦しい事件だった。確かに掛布に非があるのはわかっている。だが、それまでタイガースを支え、たゆまぬ努力を続けてきたことを知っているだけに、「この事でヤケになるなよ」と心配し、彼の今後のことが気になって仕方なかった。

 ファンのみなさんもご存知だろうが、掛布は努力の男だった。無名ながら、練習で力をつけ、満足する事なく、なお上を目指してスターダムにのしあがった選手だった。今でも思い出す83年マウイキャンプでの夜、ひとりでバットスイングする掛布の鬼気迫る姿。声を掛けることもできぬ迫力に圧倒されたものだった。

 それが86年4月20日の中日戦で左手首に死球を受けた事を境に、引退への道を歩き始めた。この死球によって連続試合出場は663でストップした。掛布の支えがひとつピリオドを打った。どんなに体調が悪くても試合を休むことはなかった。ヘルペスが出て夫人から「今日は休まないとダメかも知れません」と連絡を受けていても、本人は体中に包帯を巻いて試合に出た。いつもグラウンドに立つ事にかけていると本人も言っていた。

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 だが86年以降、掛布の力は衰えたのか、思うような成績を残せず、当時の監督だった吉田さん、村山さんとの関係もギクシャクしたものとなっていった。そしてあの「欠陥商品」というオーナーの発言。掛布は間違いなくショックを受けていた。88年9月14日、引退を正式に発表。その前に「感情だけで物事を判断するなよ。それで引退するなら、自分が損だよ」と私が声を掛けると「それはありませんから」と掛布はニヤッとした。あの笑みの意味するものはなんだったのか。あれだけ練習する選手は以降、残念ながら阪神には現れない。掛布の引退で、私はひとつの時代が終わったと感じていた。

<写真=ドラフト6位から努力でミスタータイガースまで登りつめた掛布=88年6月>


 本間勝(ほんま・まさる)1939年(昭14)5月1日生まれ、63歳。愛知県出身。中京商から58年、阪神に入団。60年5月15日の巨人戦でプロ初勝利を挙げ、同年13勝をマークした。66年に西鉄に移籍し、67年のオフに現役引退。実働10年で216試合に登板。28勝38敗、通算防御率2・86.引退後、新聞社に勤めスポーツ記者を経て、阪神球団に勤務。広報担当として活躍。名物広報として阪神の激動史に携わってきた。



2003年1月18日付紙面掲載


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