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写真週刊誌などびくともしなかった
多忙も幸せだった85年優勝野村さんの1年目、星野監督の元での昨年と、チームは短期間であっても首位を走り、ファンのみなさんに夢を与えた。ただその時の感触と85年のそれとは、まったく違っていた。あの年、シーズン半ばで「これはいける」と我々裏方も確かな手ごたえがあった。 真弓、掛布、バース、岡田、佐野、平田、木戸の充実の打線に、池田、ゲイル、中田、山本和、中西、福間の投手陣。それぞれが個性豊かで、脂が乗っていた。それに吉田さんの攻撃的な性格もあり、まさにイケイケ状態。不安など本当になかった。 その頃、ちょうど写真週刊誌が出始め、阪神はそりゃ格好のターゲットだった。現に掛布、岡田が狙われた。広報としては、その対応に悩むところだが、別にチームに影響するなんてことはまったくなく「これからは気をつけてくれよ」くらいで話はすんだ。掛布が狙われた時、カメラマンとモメたのだが、私は出版元へ出向き対応した。出版社の方は「スクープですから、記事にします。もしボツにすると、記者の意欲が低下しますし」と言うから「私も新聞記者を経験してますから、よくわかります。ただし節度はわきまえてください」と伝え、まったく問題にしなかった。そんなことでチームの状態が崩れるようなムードはさらさらなかった。
リーグ優勝から日本1。あの忙しさはどう表現したらいいのか。テレビ局、新聞、雑誌の取材申し込みはすさまじく、イベント出席の選手の手配は、それこそ寝る間もないほどだった。それでもうれしかったね。優勝とはこれほどすばらしいものなのか、と心底思った。あれから18年、首脳陣にも選手にも、そして球団のみんなにも、あの喜びを味わってもらいたいと今、つくづく思っている。 ただし、喜びが大きい分、その後に訪れる悲劇は、より辛くのしかかってくる。タイガースの絶頂というべき85年。翌年から訪れる崩壊の連続は、その時、だれも予測していなかった。吉田さんが打ち出した一蓮托生内閣のひび割れ、そして掛布の引退、バース退団。阪神は一気に坂道を転げ落ちていった。 <写真=85年、セリーグ優勝を果たし祝勝会で鏡割をする吉田監督(左から2人目)らナイン>
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2003年1月16日付紙面掲載
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