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最も印象に残る安藤監督
“典型的な阪神”84年の辞任劇私は阪神の広報担当として延べ7人8代の監督に仕えてきた。ここまで星野監督、野村さんについて書いてきたが、きょうからは歴代の監督、また時代を彩った選手について触れていきたい。 最も印象に残る監督といえば安藤統男さんを真っ先にあげる。地味な監督だったのになぜ、と問われるであろうが、監督を退くにあたった経緯が本当に複雑で、まさにこれが阪神―の典型的な例だったからだ。 私と同い年の安藤さんが監督3年目を迎えた84年。当時の小津球団社長は「これまで3年周期で監督を変えてきたが、これではダメだ。安藤には長くやってもらう」と9月には早々と留任を発表。安藤さんも4年目に向け、意欲を示していた。 ところがここで事件が起きた。みなさんも記憶しているだろう。阪神―中日の敬遠合戦である。主砲掛布と中日宇野がホームランのタイトルを争い、37本同数で迎えた最終戦。安藤さんはこの試合を迎える前に「ウチは勝負する」と言っていた。答えを求められた私も「歩かせたりしたらマスコミに叩かれますよ」と伝えた。
この方針を極秘で安藤さんは中日の監督だった山内一弘さんに連絡。すると山内さんは「いや、ウチは歩かせるで」ときた。こうなっては、阪神も対抗せざるを得ない。そして論議を呼ぶ敬遠合戦に発展してしまった。 直後、ロッカーで安藤さんに呼ばれた。「こんなのは野球やない。もうイヤになった。辞める、オレは辞めるよ」。こちらはビックリだ。留任も発表しているし、来季に向けて準備も進めている。すぐに小津社長、岡崎代表に連絡した。2人は安藤さん説得を開始する。 時間をかけて考えることが確認され、安藤さんはある日、実家に墓参りに戻った。その足で川上哲治さんに相談。「辞めてはいけない」と諭され、大阪に戻った時には「またやるよ」と私に打ち明けていた。 これで丸く収まると思っていたら、ある情報が舞い込んだ。「阪神が西本幸雄さんに声を掛けている」。安藤さんを留任の方向で説得しながら、一方で西本さんを後任候補として声を掛けている。これを知った安藤さんは思わず「やってられるか!」と声を荒げた。 <写真=84年主砲掛布(手前)のホームラン王のタイトル争いが辞任劇の発端になった安藤監督>
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2003年1月14日付紙面掲載
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