ノムさん、編成部門の改革に“一石”

星野への軌跡

大豊の「罰金20万円」肩代わり申し出も

 ノムさんの功績―。改めて考えてみた。最後は深夜の辞任会見という形で阪神を去ったが、球団に残した功績は大きいと私は感じている。

 皮肉ではないが、辞任が早まったことで、星野というすばらしい監督を迎えることができたのも、ひとつの功績かも知れない。

 前にも書いたが、電鉄本社に対して、堂々と意見が言える。球団のあるべき姿を監督という立場で伝えることができる。それがノムさんだった。「ドラフトで選手を獲得する場合、これまでのタイガースは無難な選手を獲ってきていたのではないか。それではダメです。そういう無難な選手というのは、脇役になれても、主役にはなれない」と持論を展開し、編成部門の改革を打ち出した。

 選手に対しても「野村の考え」を浸透させようとしたが、どうしてもレベルの差というか、選手がついてこれない部分もあって、3年間は結果が伴わなかった。しかし、選手に考えることの重要性をわからせ、野球への探究心を持たせたことは、これからのタイガースに意味あるものと認めなければならない。

 ああ見えても、気さくな人なんですよ、ノムさんは。それに選手や周囲に対してキッチリと気配りもしていた。例えば選手が連盟から表彰されれば、どんな小さな記録にでも、ノムさんは必ずポケットマネーを渡してやっていた。財布のヒモは夫人に握られているはずなのに…と思いつつ、世間で言われているほど冷たい人ではないと改めて知った。

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 そういえば、こんなこともあった。何年前だったか、試合中、大豊が打席に入るのを遅らせ、審判から遅延行為として通告を受けた。これに怒った大豊は暴行を働いて退場。その後、大豊は連盟から制裁金として20万円を言い渡された。球団は当然、大豊本人が払うべきとしたが、それを聞いたノムさんは「なんで大豊が払わないといけないんだ。球団が出さないなら、オレが払う」と言い出した。

 グラウンドで懸命に戦う選手を守るのに、20万円なら安いもの。ノムさんはそんな熱いものを持っていた。

<写真=2000年7月、退場処分を受けた翌日に野村監督(左)にあいさつする大豊>


 本間勝(ほんま・まさる)1939年(昭14)5月1日生まれ、63歳。愛知県出身。中京商から58年、阪神に入団。60年5月15日の巨人戦でプロ初勝利を挙げ、同年13勝をマークした。66年に西鉄に移籍し、67年のオフに現役引退。実働10年で216試合に登板。28勝38敗、通算防御率2・86.引退後、新聞社に勤めスポーツ記者を経て、阪神球団に勤務。広報担当として活躍。名物広報として阪神の激動史に携わってきた。



2003年1月12日付紙面掲載


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