大阪行き渋った野村前監督

星野への軌跡

夜8時に承諾、深夜に辞任会見に

 01年12月5日。この日を私は忘れないだろう。球団史に残る激動の1日。広報部長として、また阪神OBとして本当に長い1日だった。

 その年の9月に入った頃から球団として、万が一に備えて対応を考えていた。現役監督の夫人にかかる脱税疑惑。球界にとどまらず、社会的影響を考えれば、おのずと結論は出る。だが、その時点ではあくまで疑惑であって、事実究明の推移を見守るしかなかった。ただ総務部によってマニュアルは出来上がっていた。 在宅起訴なら続投。逮捕なら辞任勧告。これが球団としての方針だった。

 それなりにこちらも情報を収集した。入ってくるのは野村さんにはマイナスのものばかりだった。沙知代夫人の脱税疑惑が、疑惑でなくなり、逮捕は時間の問題。覚悟しなければならない事態に追い詰められる。

 迎えた運命の日。12月5日午後3時、沙知代夫人が逮捕された。決まった。辞任勧告へ、東京の野村さんに連絡を取る。だが、なかなか通じない。やっと連絡がつくと「辞めるから、大阪に行かんでええやろ」とノムさんは言う。ダメです。大阪に来てくださいと伝えるが、その一方で東京で会見を開く覚悟もしながら、上京の用意も整えた。

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 すでに前日から専属広報担当として3年間、野村監督に仕えた島村君を東京に行かせていた。携帯電話で連絡を取り合い、島村が説得役として野村邸に入った。自宅前は報道陣であふれている。その中を島村は突き進んだ。

 やはりケジメをつけるには球団事務所で会見を開くのが理想だった。広報としても東京でやるより、取材制限できるという読みもあった。島村は必死に説得した。野村さんが首を縦に振ったのは夜8時を回っていた。

 羽田から空路、関空へ。そこにも報道陣が待ち構えていた。そして車で球団事務所に到着。そのまま野村さんは野崎社長の待つ部屋に入った。「ご迷惑をかけました。辞めさせてもらいます」。これが第1声だった。

 深夜の会見は日付けが変わった6日0時30分から始まった。そこには頭を下げ、疲れきったノムさんがいた。「よく連れてきてくれたな」。私は思わず島村に礼を言った。終わった。名将野村克也のうなだれる姿を本当は見たくはなかった。

<写真=東京の自宅を出て西宮の阪神球団事務所に向かう野村監督。右は嶌村広報課長=01年12月5日、夜>

 本間勝(ほんま・まさる)1939年(昭14)5月1日生まれ、63歳。愛知県出身。中京商から58年、阪神に入団。60年5月15日の巨人戦でプロ初勝利を挙げ、同年13勝をマークした。66年に西鉄に移籍し、67年のオフに現役引退。実働10年で216試合に登板。28勝38敗、通算防御率2・86.引退後、新聞社に勤めスポーツ記者を経て、阪神球団に勤務。広報担当として活躍。名物広報として阪神の激動史に携わってきた。



2003年1月11日付紙面掲載


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