野村前監督が体質変えた

星野への軌跡

“先行投資”本社へ直訴

 それにしても昨季、故障者なしで戦ってほしかった、といまさらながら思ってしまう。星野監督の勝負に対する考えが選手に浸透し、本当に万全の状態で戦っていたら、最後まで優勝争いに加わっていたはずだ。 ゲーム後に行われるミーティング。頻繁にあったが、ちょうど6月だったか、チームの状態が下り坂に入った時のミーティングでの監督の言葉が印象に残っている。「今ごろからプレッシャーを感じるな。いずれ小便でもチビりそうなゲームが必ず来るんだから。優勝したいじゃダメ。優勝するんだという強い気持ちでやらんとイカンぞ」。

 結局は実らなかったが、昨季の経験は貴重だ。「選手はいい経験しましたよ」と監督に言うと「オレは知らん。オレには分からん」と首を傾げていたが、少なくても星野イズムは確実に染み渡ったはずである。

 5月だったか、それまでのホテル暮らしをやめ、芦屋のマンションに監督は引っ越した。そうしたいと伝えられた時、理由を聞いた。「どうしてもホテル住まいなら、腰掛けと思われる。やる以上は腰を据えてやりたいので」と明かした。

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 こういった阪神にかける気持ちは前監督の野村さんと通じるものがあった。あえてノムさんと呼ばしていただくが、ノムさんがこれまでの阪神の体質を変えた人物と、私は確信している。チーム作りには何が必要か。これを電鉄本社の首脳に理解させたのがノムさんだった。「金を使わないままなら弱小球団は変わらない。勝てばお客さんが来る球団なんです。先行投資すれば必ず常勝球団になる」。これまでのOB監督が言いたくても言えなかった事を、オーナー、本社社長に直訴した。星野監督も同様の要望を出しているが、道筋をつけたのは間違いなくノムさんだった。

 3年連続最下位。結果を出せず「このチームには星野のようなのがいいかも」とつぶやいたノムさんの最後は、あの深夜の辞任会見だった。少なくとも、夫人の脱税による逮捕がなければ、ノムさんは翌年も監督をやるつもりでいた。その思いが霧散した事件。あの深夜の辞任劇は今も鮮烈に覚えている。球団事務所での長い1日だった。

<写真=2001年12月6日、深夜の辞任会見を行う野村監督(当時)>

 本間勝(ほんま・まさる)1939年(昭14)5月1日生まれ、63歳。愛知県出身。中京商から58年、阪神に入団。60年5月15日の巨人戦でプロ初勝利を挙げ、同年13勝をマークした。66年に西鉄に移籍し、67年のオフに現役引退。実働10年で216試合に登板。28勝38敗、通算防御率2・86.引退後、新聞社に勤めスポーツ記者を経て、阪神球団に勤務。広報担当として活躍。名物広報として阪神の激動史に携わってきた。



2003年1月10日付紙面掲載


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