運命の開幕戦で突然の「不整脈」

星野への軌跡

のめりこんだ伝統の一戦

 昨年2月の高知安芸キャンプ。注目度はすごかった。かつて小林繁や野村前監督の時もすごかったが、今年はそれ以上。広報8人体制という異例の対応も、なかなか追いつかないほどの人出、取材攻勢だった。

 星野監督は表向き、平然としていた。だがチラッと「すごいですね」と驚きは隠さなかった。中日時代に数多くの経験を積んでいたと思うが「阪神」の重さを初めて知り、重圧を感じるな、と言う方が酷な状況になっていった。

 「監督、タイガースの監督は12球団で一番たいへんだと思うよ」。私は少しでも和らげたくて冗談ぽく囁くと「それはわかります」とうなずき、まず最初に「手」を打った。「あの、これから毎朝、マスコミと朝食会をやりますから」。

 阪神監督と番記者の関係。歴代の監督に関わり、これほどデリケートな問題はない、と私は痛感してきた。うまくコミュニケーションをはかっているうちはいいが、ひとたび関係がこじれると関西マスコミのきつさは半端ではない。イヤというほど見てきただけに、星野監督の申し出を受けた。監督は監督で情報を収集していたようだ。「阪神にはマスコミがバックにない。ならばマスコミも戦力として協力してもらうような形を作りたい」。毎朝、20人近い番記者と集いを持つ監督など、これまでの阪神にはいなかった。

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 「敵を作れば、全紙敵に回りますよ」。私のひと言にうなずき、朝食会で「星野野球」をまず理解してもらうことを監督の大事な仕事と決めた。こうしてマスコミとの関係はスムーズに運んだが、それとは別の所で星野監督が感じるプレッシャーが膨らんでいったと私は思う。

 ファンは星野語録を読み、期待を抱く。注目度は開幕が近づくにつれて高くなる一方だ。オープン戦も好調。いつの間にか「優勝」の2文字が監督に突きつけられる。そして運命の3・30開幕戦。ここで信じられないアクシデントが起きた。

 東京ドームでの巨人戦。先発の井川が好投し、逃げ切りを描き始めた6回だった。突然、星野監督が倒れそうになった。フラフラとし、ゲーム中、ロッカーに消えたのだった。「不整脈」。監督の顔を見て、私の方がオロオロした。

<写真=02年2月、阪神キャンプ初日を終えた星野監督は大勢の報道陣に囲まれた>

 本間勝(ほんま・まさる)1939年(昭14)5月1日生まれ、63歳。愛知県出身。中京商から58年、阪神に入団。60年5月15日の巨人戦でプロ初勝利を挙げ、同年13勝をマークした。66年に西鉄に移籍し、67年のオフに現役引退。実働10年で216試合に登板。28勝38敗、通算防御率2・86.引退後、新聞社に勤めスポーツ記者を経て、阪神球団に勤務。広報担当として活躍。名物広報として阪神の激動史に携わってきた。



2003年1月8日付紙面掲載


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