オーナーは言い切った「必ず受けてくれる」

 大補強を完了し、星野阪神が2年目Vに挑む03年。日刊スポーツでは新春企画として阪神のすべてを知る人物に登場してもらい、タイガースの現在、過去、未来を大いに語ってもらいます。昨年いっぱいで阪神球団を退社した本間勝前広報部長が星野阪神の秘密、野村前監督の波乱の3年、さらに21年に及ぶ球団職員として接した激動のタイガース史をここに明かします。広報担当しか知り得ないタイガースの裏面史。まず星野仙一の素顔と、革命の可能性について語った。

星野への軌跡

就任後感じた“監督のほとばしる情熱”

 年が明けた。いつもなら球団行事に駆け回っているのに、今年はノンビリと新年を味わっている。21年間の球団業務を終え、ホッとしている反面、なんとなく寂しくて。コタツでお茶を飲みながら、ふと頭に浮かぶのが星野監督の顔。あの時、よく決断してくれた、よく阪神に来てくれた。そんな事を思い出していた。

 01年12月。野村前監督夫人の沙知代さんが脱税で逮捕され、ノムさんが深夜の辞任会見を開いた翌日だった。電鉄本社から連絡があり、久万オーナーから召集がかかった。社長、常務、総務部長と私の4人が呼ばれ、本社でオーナーと向かい合った。

 「これから星野と交渉します」。

 すでに一部スポーツ紙には出ていたが、オーナー直々に初めて明かされた。広報部長として、少しの引っ掛かりをその時、オーナーにぶつけた。「本当に来てくれるのですか。星野に断られたからでは、あとは誰も来ないのではないでしょうか」。

 オーナーは自信に満ちた口調で「必ず受けてくれる」と言い切り、そこから星野体制への段取りがスタートした。

 とんとん拍子。まさにそんな風に監督就任まで進んだが、改めて感じたのが、星野監督のほとばしる熱意だった。空前の注目を浴びる安芸でのキャンプ。朝の球場入り、そして練習後には私が運転して星野監督を送り迎えした。車中、私はひとつの要望を出した。

 「これからは監督の行動力にかかっていますよ。チーム作りに関して、本社はどうしても球団職員の話は聞かない。監督が動いて本社に掛け合わないとダメだ」と。

 すると監督はこう言ったね。「わかりました。すべて僕に任せてください」。普通、こうは答えてもなかなか行動には移せないが、星野監督はこれまで関わった監督とは異質だった。表には出ていないが、何度となくオーナーと会い、チーム改革の必要性を訴え、その都度、私の顔を見ると「安心してください。いい方向に進んでいますから」と、ニヤッとして伝えてくれたものです。

 ファンやマスコミ受けするパフォーマンスではない。本当に勝負する。そんな気概があふれていたが、それでも、阪神という強烈なプレッシャーに押しつぶされそうになったのも事実だった。

 本間勝(ほんま・まさる)1939年(昭14)5月1日生まれ、63歳。愛知県出身。中京商から58年、阪神に入団。60年5月15日の巨人戦でプロ初勝利を挙げ、同年13勝をマークした。66年に西鉄に移籍し、67年のオフに現役引退。実働10年で216試合に登板。28勝38敗、通算防御率2・86.引退後、新聞社に勤めスポーツ記者を経て、阪神球団に勤務。広報担当として活躍。名物広報として阪神の激動史に携わってきた。



2003年1月7日付紙面掲載


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