「あんちゃん」は公私にわたる恩人

星野の挑戦in安芸

プロ初勝利時の捕手、現在は“特別秘書”

 星野が陰で時々「あんちゃん」とか「時あんちゃん」とか呼んだりする。それはほんまか。高木時夫広報担当(64)は星野の兄さんなのか。あるいは星野が陰で、時さんのことを「おれの恩人なんや」といったりするのは本当か。ミステリーの後編はそのナゾ解きでござる。

 33年前、ルーキー星野は4月半ばの広島戦に初登板したが2回KO。それからチャンスもなく悶々としていたが、そんな時も慰め励まし、気持ちの支えになってくれていたのが9年先輩のキャッチャー時さんだ。「くる日もくる日も毎日ブルペンで、時さんを相手に200球投げるだけ。あとはふくれていらだって、グチってはしかられていたんだ」。

 人柄がよく、面倒見のいい時さんは選手の兄貴分だから、みんなに「あんちゃん」「時あんちゃん」と呼ばれていて、31歳の時さんは22歳の星野には文字通り、なんでもいえる兄貴だった。よく時さんの家に呼ばれていって奥さんの手料理で、プロの世界のあれこれや、ピッチング談義に興じるのが星野の楽しみのひとつだったろう。

 5月初旬の福井での広島戦。星野がこの2度目の先発でようやく初勝利を挙げた時のキャッチャーが時さんで、これが思い出深い時さんの現役ラストの試合にもなった。314試合に出て3割を打ったシーズンもあったが、時さんは若い木俣にマスクを譲って、それからコーチ業へと踏み出していったのである。

 星野が阪神の監督に就いた途端の人事で、スカウトでいた時さんを辞めさせるという話を聞いて、星野があわてて待ったをかけた。「私が監督としてきた途端、昔の恩人を辞めさせるなんて、私の気がすまない。わがままかもしれんが私の世話役、私のグチの聞き役として、私の人事案としてこの人ひとりくらいはフロントに残してくれませんか」。

 野崎球団社長にも星野は、頭を下げて頼んだという。

 日大、ノンプロから中日入りして選手、コーチ、スカウトを各10年ずつ。その後、中日をクビになって浪人中、ようやく阪神にスカウトとして拾われた1年後に時さんは突然、星野から古巣中日に2軍監督として呼ばれることになる。時さんにとっては長年の夢のポストであり、弟分の星野からの直々の招請だ。

 しかしこの時の、このせっかくの話を時さんは断っている。10日も20日も眠れない日を過ごしたが、自分が進退に困っていた時に拾ってくれた阪神と、仲介してくれた先輩、田宮謙次郎前OB会長への義理を最優先させて断念したものだ。星野はそうした「人の道」を少しも誤らずにやってきた時さんのことを、野崎社長にも懸命に説いたようだ。

 時さんの仕事は主に2人の監督広報官のフォローかもしれないし、監督の特別秘書官なのかもしれない。フロントのアドバイザーだったり、コーチの相談役だったりもする。球場での着替え中の選手の取材時間を15分から5分に短縮させたのは、選手に風邪を引かせまいとする時さんの配慮だ。

 整備したグラウンドにパンタロンシューズのかかとで穴を開けていく女子アナをしかったのも、筋ジストロフィー患者の車イスのファンをスタンドで誘導して歩いたのも時さんだ。星野の記事をスクラップして、その発言やマスコミへの対応をチェックしたり、星野の昔からの知人や関係者への応接にもベテランらしいキャリアが垣間見えたりする。

 今、単なる恩愛や人情だけの人事ではなかったことを確認しながら、星野も満足、きっと安心をして喜んでいるに違いない。

 三浦勝男 1939年(昭14年)、神奈川県生まれ。明大卒。62年、日刊スポーツ新聞社入社。巨人、中日担当、野球部長、編集局長、役員などを経て、現日刊スポーツ新聞社顧問。現在は多方面で執筆活動中。星野監督とは中日入団以来、33年間の交友。



2002年2月20日付紙面掲載 


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