阪神行きを反対したもう1人のオヤジ

星野の挑戦in安芸

川上氏の忠告に“結果”約束

 水原さんのことを書いたら、川上さんのことを書かなくてはいけない。去年の11月、阪神の監督に星野の名が出た途端、我が家に川上さんから電話があった。

 「わしは反対じゃ。キミは賛成しとんのか。星野はある程度の戦力を持って、それを懸命に駆使して勝つのが巧い指揮官タイプの人間だ。戦力もない、チーム力も乏しい阪神のようなチームに必要なのは、地道にコツコツ辛抱強く、我慢強く選手を育て、チーム力をつけていくタイプの監督なんだ。周囲の風圧や批判も強い、難しい阪神に、あんな気性の指揮官タイプが適するはずがないだろう。星野に“行くな”と言ってくれ」

 「そういう話なら川上さんから直接、本人に言ってください」というと「いや、わしがストレートに言うと彼のことだから、わしとも言い合いになる、ケンカにもなりかねん。そうなってはみっともないので、わしの考えをぜひ、キミの口から伝えてくれ」

 川上さんが言っても聞かんものを、わたしなどが言ってもその百倍も千倍も聞くわけがない。口論になることも覚悟して星野宅へ電話したのだが、これが拍子抜けするほど意外な、静かな応対だったのである。いつもならヘソを曲げると、こっちが二つ三つ言うと、八つも九つも十も二十もバチバチ言ってくるはずの星野がこの時ばかりはなんとも静かで、落ち着き払った態度だったのである。

 「オヤジの言うことはわかるよ。ある部分、当たっとると思う。いつも大きな視点、観点からものの本質や真実をどんと言えるのが川上のオヤジさんだ。しかしもう腹は決めたんだわ、行くことに。計算や読みばっかりでなく、それよりもっと強いハートでどんと人生の進路を決める時だってあるもんだ。阪神に行くにあたってはオヤジさんが反対するわけやその心配についても十分に留意して、選手を育て、チームを作っていくことに全力を尽くしていくからって。そう言っといてよ」と。

 その後、星野と川上さんとの間に直接の電話や手紙のやりとりがあったのはむろんである。オヤジと息子の関係は一般の家庭でも、息子がいい年になり、立派な立場にもついていれば、オヤジも息子の心情や体面といったものに気も使う。川上さんと星野の間にもそうした部分があるのだということなのだろう。

 川上さんも今は「利口な男だから、わしの意見や心配も承知の上、わかった上でやっとるじゃろう。試合形式の練習量を増やすなど、いろいろ周到に考えてやっとるらしい。心配はせんで、これからはまた励ましてやるだけじゃ」と言っている。

 生まれる前に父親を亡くしている星野だが、球界には4人のオヤジさんがいた。明大時代の恩師の島岡吉郎、中日元オーナーの加藤巳一郎、中日監督だった水原茂のお三方に、そしてこの川上哲治さんである。健在なのはもうこの川上のオヤジさんひとりだけになっている。

 柄にもなく川上さんについて禅寺へ修行に行ったこともあるし、監督業に就いた際にはこの野球の神様、V9大監督の背番号77も譲り受けた。昭和63年、中日の監督として初優勝した時には、川上さんに電話で報告しながら男泣きしたことなども思い出される。その川上さんも来月下旬で82歳だ。

 この日、腰痛の治療中で川上さんが巨人やダイエーのキャンプにも、安芸のキャンプにも来れないことを伝え聞くと、星野は少し残念そうな顔をして「経過報告はええ。オヤジにしてやるのは“結果報告”じゃ」と言った。(敬称略)

 三浦勝男 1939年(昭14年)、神奈川県生まれ。明大卒。62年、日刊スポーツ新聞社入社。巨人、中日担当、野球部長、編集局長、役員などを経て、現日刊スポーツ新聞社顧問。現在は多方面で執筆活動中。星野監督とは中日入団以来、33年間の交友。



2002年2月14日付紙面掲載 


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