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恩人のねぎらいに涙、涙
「よう頑張った」故水原氏安芸に長嶋が来て、星野が迎えて半日、2人がどんな話をしたのかわからない。特に野球以外の話だ。しかし、ドーム内での収録に携わったテレビ関係者によると、水原茂さんに関するやりとりがあったらしい。 「この間、水原さんの息子さんから電話がありましたよ」「ほう、珍しい。どうしたの」「IT関連の仕事をされてて、私にも少し頼みたいことがあるということで」「そうか、懐かしいね。新太郎さんっていったかな、ご長男。初めは日テレにいたんだよな。やはりメディアの仕事をしているんだ。仙ちゃん、手伝ってあげるの?」「当たり前でしょうが」「そうか、うん。それはいいね」。 水原さんといえば巨人、東映(現日本ハム)、中日の指揮を執ったかつての名将。長嶋と星野にとってはそれぞれのルーキー時代の監督で、いわば共通の上司であり、恩人であった人だ。ダンディーでき然たる雰囲気をかもしながら実際は、情味のある、人情の機微にあふれた監督だった。 昭和33年、長嶋が入団したころの巨人には大学出と高校出の2派閥があって、水原さんは大学(立大)出の長嶋にもいろいろ配慮をしていた。キャンプ宿舎での部屋割りも、同じ大学出(慶大)の藤田元司(現評論家)と同室にしたり、移動の際の列車の座席も高校出の年長者と隣り合わせにならないようにと、それは細やかな気配りだった。 星野にも昭和44年のルーキー時代に、いくつかの忘れられない思い出がある。「その中でも今でも時々、選手に話すのはー」。2回KOで降板したある日、コーチを通じて「きょうの失態を絶対に取り返す。明日の試合にも先発させてくれ」と願い出た時のことだ。 いくら若武者の熱意であっても、多士済々の先発投手が順番を待っているのに、1年生投手のわがままでローテーションを崩すわけにはいかない。星野も到底使ってもらえるわけがないと思っていたのだが、水原さんは勝ち気なこのルーキーの頼みを聞き入れた。 翌日の試合にはそれこそ必死の気持ちを振り絞って9回を投げたのだが、結果は2対1の負け。試合後、だれにも合わせる顔がなくロッカーのイスに星野が1人沈んでいると、突然目の前ににゅっとしわくちゃな手が伸びてきた。「よう、頑張ったな」。水原監督のねぎらいの握手だった。 きかん気でコーチや監督にも逆らってばかりいた星野だが、この時はイスにへたり込んでしゃくりあげたらしい。どんなにかうれしく、ありがたい思い出のひとつなのだろう。それから30年、40年以上たってキャンプの食堂の片隅でふと、長嶋と星野の会話に共通の恩人の名前が出る。 「人間の運命ってわからんな。水原さんもとうに亡くなり、長嶋さんも引退してキャンプ巡りだ。そして今、おれが阪神の監督だもんな。ひとつ間違えばこの時期、おれもNHKの解説者としてこの安芸にも来ていたんだよね」。 人は宿命に生まれ、運命に生き、使命に燃ゆ。長嶋の訪問にふとメランコリーにもなる星野だがどっこい、その背中には重い役割、大きな使命が乗っている。(敬称略)
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2002年2月13日付紙面掲載
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