立場変わってもつき合い変わらず

星野の挑戦in安芸

竜党中華店のオヤジを安芸に招待

 ホテルには「星野仙一様」宛てで、全国各地から毎日のように差し入れがある。毛がにやら肉やら果物やら。星野が甘党であんパンが好きなものだから、あんパンや菓子類も大きな箱でどっさり届く。胡蝶蘭の鉢植えも12、13はあったそう。

 驚いたことに白いつぼみを付けた桜の一枝も、監督室のスイートルームには植えられてあった。温かな室内で毎日少しずつつぼみを開いていく様子を見るのが、星野の柄にもない楽しみらしい。その監督室に1本の電話が鳴った。

 「ハイ、ハイ」と受話器をとり上げるなり、寝そべっていた星野の上半身ががばっと起きた。それは名古屋の今池にある中華料理店「ピカイチ」の親父からのひさしぶりの電話だった。「オヤジ、どうした。元気か。店はどうだ」。星野の顔がもう満開の桜のように笑み崩れた。

 親父の名前は兵頭洋二(60)。昔からの星野ファンで中日ファンで、店は「星野ドラゴンズ・ファン」の溜まり場として有名なところだ。娘の彗美(34)はこのところ不振だが、女子プロゴルファーとして知られている。彗美がゴルフを始めたのは少女時代、なんとなく星野に教えられたのがそのきっかけだったことも、常連客は知っている。

 その親父が昨年暮れの、店も一番忙しい時に倒れて1週間も入院した。星野がよこした電話口で思わず男泣きしてから数日後、ストレスによる急性胃潰瘍で病院に運ばれたのだった。店の客のほとんどが星野ファンで中日ファンで、親父プラス客はイコール仲間であり、みんな親友だった。それが星野の突然の阪神入り、大阪行きで崩れた。

 店は賛否両論で二分した。客同士の論争は、言い合いから大抵ケンカになった。意見の異なる客同士は一切口をきかなくなり、殊に悩みながらも星野の阪神入りを認めた親父は反対派の総攻撃を一身に浴びるはめになった。

 「どんな事情や経緯があれ、なんでドラゴンズを離れて名古屋を去っていくんじゃ」酔った客が次々に親父の前に立ってののしる。「星野はドラゴンズのOBとして名古屋人として、どんなに苦しんで決断したか。こうなったらわしらの誇りじゃ思うてやろうや」という親父に、妻も怒ってきた。

 郷土愛の強い名古屋での爆発に、店内ばかりか家庭まで崩れんばかりのありさまだった。板ばさみに苦しみもだえて、入院騒ぎまで起こしたあの時からもう2か月がたっている。

 「安芸にこいや。部屋はおれの隣じゃ」「そうか、行っていいか」「あたりまえじゃ」「わかった。次の日曜日(17日)に行ったる」「店はどうじゃ」「ああ、落ち着いたわ、ようやく」「そうか、暗黙の了承を得たか」「ワッハッハ」

 絶えず得て失って、また失って得て、得て失って、さらにまた得ようとする。それが人の生きるということだが、人間同士、どのような運命に遭い、それぞれにどう立場が変わっても時には少しも変わらないものもあるものだ。安芸に来てからなぜか、星野が一番幸せそうに見えてならないひとこまであった。(敬称略)

 三浦勝男 1939年(昭14年)、神奈川県生まれ。明大卒。62年、日刊スポーツ新聞社入社。巨人、中日担当、野球部長、編集局長、役員などを経て、現日刊スポーツ新聞社顧問。現在は多方面で執筆活動中。星野監督とは中日入団以来、33年間の交友。



2002年2月11日付紙面掲載 


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