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目立った今岡らの成長…試合運びに「若さ」◆阪神1年目の星野サイ配 攻撃面は手堅い攻めが目立った。井川、ムーアを中心にした先発陣が抜群の出来をみせ開幕ダッシュに成功した。手堅くバントで送って「まず1点」をとって、安定した投手力で乗り切るという勝ちパターンがはまった。だが、シーズン半ばには勝ちパターンがはまらなくなった。特にサッカーW杯開催の6月は、順調すぎた投手陣がジリ貧。打撃陣に破壊力がないため、チームは4勝13敗で下降線を描いた。このタイミングで、もう少しエンドラン、バスターなどを多用してチャンスを広げる必要があった。盗塁が期待できた赤星の故障離脱で、なおのことアグレッシブに仕掛けながら得点に結びつけるべきだった。 ◆成長途上の若手 浜中、今岡らの成長ぶりは目立った。ただ、ベンチの思惑通りに動かず、試合運びには随所に「若さ」がうかがえた。例えば、一塁や二塁に走者を置く場面で、ベンチは「打て」のサインを出す。チャンスを広げなければならないこの場面では、右狙いに固執しすぎて中途半端に終わることが多かった。ライト方向を狙うのは理解できないことはないが、例えば右打者にシュートが投じられては相手の思うつぼ。阪神のほとんどの選手が、なぜかきれいに決めようとし過ぎる。「お坊っちゃま」のような打撃は「勝負から逃げたバッティング」と言わざるを得なかった。 ◆4番不在 4番を打ったのはのべ7人。もっとも多く主砲の座に座ったのは81試合のアリアス。「4番」はチームの看板。ベンチがもっとも信頼する打者を据えるわけだが、その意味でアリアスは物足りなかった。32本塁打は数字上のことで、アリアスには「生きた凡打」が少なかった。優勝した昭和60年の4番は掛布だった。技術はもちろん、風格、威圧感とも備わっていた。3番バース(3割5分)、5番岡田(3割4分2厘)で組んだクリーンアップの中で、掛布の打率3割はもっとも低い。ただ、チームへの貢献度は高かった。走者二塁で大きな飛球で進塁させるとか、ここ一番で犠飛を放つとか、四球も多かった。得点力の低いチームにあって、アリアスはあくまでも「4番目の打者」に過ぎなかった。 (日刊スポーツ評論家)
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2002年10月18日付紙面掲載
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[星野阪神’02を検証する 投手編・中西清起] 阪神 | カープ | 関西情報 | ライブラリーINDEX 野球 | MLB | サッカー | スポーツ | バトル | 芸能 | 社会 | 競馬 | レジャー特集 | |||||